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2020年11月24日

『麒麟がくる』第28回―摂津晴門とは何者?

大徳寺
《令和5年12月7日更新》

皆さんこんばんは。
今回は今年の大河ドラマ『麒麟(きりん)がくる』第28回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。

大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名をのせています。

【『麒麟がくる』の楽しみ方】
・第1~2回―当時の三傑と明智家/リアルな戦の描写 ・第3~4回―美濃の情勢/織田家の状況
・第5~6回―当時の京都の情勢 ・第7~8回―尾張国内の政治情勢/当時の三河情勢
・第9~10回―土岐一族とは/織田家の血縁関係 ・第11~12回―なぜ朽木谷か?/信長家臣団の萌芽
・第13~14回―戦国最強の傭兵団/村木砦の戦い ・第15~16回―織田一族の関係性/新九郎高政の重臣たち
・第17~18回―斎藤家の血族関係/永禄元年までの織田家 ・第19~20回―足利将軍家の動き/桶狭間の戦い
・第21回―松平蔵人の親族
・『麒麟がくるまでお待ちください』第2~3回―斎藤道三二代説/前田利家の生涯
・『麒麟がくるまでお待ちください』第4回―羽柴藤吉郎の名称
・総集編第1回 ・第22回―三好氏の血縁関係
・第23回―三好氏の血縁関係(2) ・第24回―剣豪の系譜
・第25回―朝倉氏の系譜・第26回―摂関家の系譜
・第27回―「会合衆」とは何者か?


まずはあらすじ。



第28回のあらすじ


永禄(えいろく)11年(1568年)9月、足利左馬頭義昭(滝藤賢一)を擁して上洛(じょうらく)した織田尾張守信長(染谷将太)は、非武装での京都制圧に成功し、今井宗久(陣内孝則)との約束を守った。

信長はそのままの勢いで三好三人衆(みよし・さんにんしゅう)の本拠地・摂津(せっつ)・芥川山(あくたがわやま)城を占拠した。

戦勝を祝うため、周辺の武将たちが続々とそこにやってきていた。

その中には大和(やまと)にて三好三人衆と交戦している松永弾正久秀(吉田鋼太郎)も混じっていた。

明智十兵衛光秀(長谷川博己)は、義昭の兄・左近衛中将義輝の代からの政所頭人(まんどころとうにん)・摂津掃部頭晴門(片岡鶴太郎)を紹介されるが、義輝を守れなかった晴門に不信感を抱く。

芥川山城を後にした義昭は、征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に就任し、京都(きょうと)・本圀寺(ほんこくじ)に入り、そこを仮の御座所(ござしょ)とした。
そして信長は十兵衛らに義昭を託して岐阜(ぎふ)に帰っていった。

しかし、翌12年(1569年)、三好三人衆が警戒をかいくぐって本圀寺を襲撃したのである。

辛くも三好勢を撃退した足利(あしかが)勢だが、十兵衛は京都に三好の軍勢が入ってこれたことを疑問に感じる。
幕府(ばくふ)の中に、三好三人衆の手引きをしたものがいるのではないか…と。

数日後、京都に駆け付けた信長は、義昭を守れなかった摂津らに激怒する。

これからは信長が信頼するものを名代(みょうだい)とし、京都に城を築くという。

かくして二条(にじょう)城の築城が始まったが、石材の中に仏像が混じっているのを見て、複雑な思いを抱く十兵衛であった。

ということで、
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Posted by 鷲谷 城州 at 20:00Comments(0)テレビ