2020年11月24日
『麒麟がくる』第28回―摂津晴門とは何者?

皆さんこんばんは。
今回は今年の大河ドラマ『麒麟がくる』第28回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。
大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名をのせています。
まずはあらすじ。
第28回のあらすじ
永禄(えいろく)11年(1568年)9月、足利左馬頭義昭(滝藤賢一)を擁して上洛(じょうらく)した織田尾張守信長(染谷将太)は、非武装での京都制圧に成功し、今井宗久(陣内孝則)との約束を守った。
信長はそのままの勢いで三好三人衆(みよし・さんにんしゅう)の本拠地・摂津(せっつ)・芥川山(あくたがわやま)城を占拠した。
戦勝を祝うため、周辺の武将たちが続々とそこにやってきていた。
その中には大和(やまと)にて三好三人衆と交戦している松永弾正久秀(吉田鋼太郎)も混じっていた。
明智十兵衛光秀(長谷川博己)は、義昭の兄・左近衛中将義輝の代からの政所頭人(まんどころとうにん)・摂津掃部頭晴門(片岡鶴太郎)を紹介されるが、義輝を守れなかった晴門に不信感を抱く。
芥川山城を後にした義昭は、征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に就任し、京都(きょうと)・本圀寺(ほんこくじ)に入り、そこを仮の御座所(ござしょ)とした。
そして信長は十兵衛らに義昭を託して岐阜(ぎふ)に帰っていった。
しかし、翌12年(1569年)、三好三人衆が警戒をかいくぐって本圀寺を襲撃したのである。
辛くも三好勢を撃退した足利(あしかが)勢だが、十兵衛は京都に三好の軍勢が入ってこれたことを疑問に感じる。
幕府(ばくふ)の中に、三好三人衆の手引きをしたものがいるのではないか…と。
数日後、京都に駆け付けた信長は、義昭を守れなかった摂津らに激怒する。
これからは信長が信頼するものを名代(みょうだい)とし、京都に城を築くという。
かくして二条(にじょう)城の築城が始まったが、石材の中に仏像が混じっているのを見て、複雑な思いを抱く十兵衛であった。
ということで、
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