2020年10月23日
『麒麟がくる』第25回―朝倉氏の系譜
《令和6年3月29日更新》
皆さんこんばんは。
今回は令和2年の大河ドラマ『麒麟がくる』第25回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。
大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
まずはあらすじ。
第25回のあらすじ
近江・矢島(おうみ・やじま)にて還俗(げんぞく)した僧・覚慶(滝藤賢一)は足利左馬頭義昭と名乗る。
しかし、矢島を領していた六角(ろっかく)家が三好(みよし)家に同調する動きを見せたため、義昭を擁する細川兵部大輔藤孝(眞島秀和)一行は、明智十兵衛光秀(長谷川博己)の手引きで越前・敦賀(えちぜん・つるが)へ移る。
しかし、越前を領する朝倉左衛門督義景(ユースケ・サンタマリア)はあいまいな態度を続け、上洛(じょうらく)する気配を見せぬまま月日が経った。
永禄(えいろく)10年(1567年)、尾張(おわり)の織田上総介改め尾張守信長はついに美濃(みの)・斎藤治部大輔龍興を打倒し、美濃一国を手に入れ稲葉山(いなばやま)城へと拠点を移した。
その知らせを受けた十兵衛は、母・牧(まき)(石川さゆり)を連れて故郷である美濃・明智荘(あけちのしょう)を訪れた。
その帰途、稲葉山城の織田信長を訪問した十兵衛は、信長に仕えないかとの誘いを受ける。
やんわりと断った十兵衛は、信長に義昭の上洛を手伝うよう依頼する。
快く引き受け、やる気に満ち溢れる信長であった。
越前に帰った十兵衛は、義昭の訪問を受ける。
義昭は、庭で羽を運ぶ蟻を見て、「皆の力を借りれば大きなことができる」ということを悟り、将軍職(しょうぐんしょく〔本来は「しょくぐんしき」〕)就任への意欲を見せた。
ということで、
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