2018年11月15日
『西郷どん』第39~41回―幕末~明治にかけての改名の誤解
《令和5年7月9日更新》
皆さんこんばんは。
今回は今年の大河ドラマ『西郷どん』第39~41回の感想です。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
まずはあらすじ。
明治時代になって東京(とうきょう)を退き、薩摩(さつま)改め鹿児島(かごしま)に戻った西郷隆盛(鈴木亮平)。政府のことは大久保利通(瑛太)に任せ、東京に出仕(しゅっし)するつもりはなかったが、横山安武(笠松将)の諫死(かんし)と弟従道(錦戸亮)の勧誘、そして息子菊次郎(城桧吏)の言葉により東京行きに傾いていく。
利通は廃藩置県(はいはんちけん)を進めるため、岩倉具視(笑福亭鶴瓶)とともに勅使(ちょくし)として鹿児島を訪れた。廃藩置県を進めるために国父(こくふ)島津久光(青木崇高)に力を貸してくれるよう説得するが失敗する。隆盛は利通の政策に賛同し、雄藩(ゆうはん)の旧藩士(きゅう・はんし)を集めて御親兵(ごしんぺい)を作る提案をし、上京することになった。東京にて新政府の会議に参加した隆盛は一枚岩ではない政府の様子を見て、複雑な思いを抱く。
隆盛が上京したあと、岩倉や利通らは政治制度を学ぶために欧米に行くこととなった。隆盛はその間の留守を任されるが、長州(ちょうしゅう)出身の陸軍大輔(りくぐんたいふ)山県有朋の不正が発覚し、窮地に立たされる。そんななか、天皇陛下の行幸(ぎょうこう)を企画し、鹿児島に帰ることになる。そこで久光に呼び出され、意外なことに叱咤され、感激する隆盛であった。
ということで、
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