鶴岡八幡宮を味わう(2)―大銀杏と本宮

鷲谷 城州

2020年05月20日 21:00


《令和6年10月10日更新》

皆さんこんばんは。
今回は断続的に続いている「鎌倉(かまくら)旅行シリーズ」の第6弾で、「鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)」についての第2弾となります!


【鎌倉シリーズの今までの記事】・鎌倉ですごい神社を見つけた!(甘縄神明神社)・平成28年の小町通り(1)―光輝くシラス丼と極上のクレープ・平成28年の小町通り(2)―垂涎の腸詰と宝石のようなマカロン・平成28年の小町通(3)―原点回帰したい人のためのおしゃれ団子・鶴岡八幡宮を味わう(1)―太鼓橋と舞殿


日本有数の観光地である鎌倉ですが、その魅力とは何なのかについて語りたいと思います。

とりあえず有名だから行ってみたけど、人は多いしなんだかよくわからない建物ばかりだし、階段は急だしよくわからない!という人のために楽しみ方を説明したいと思います。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。

伝説の大銀杏



まずは前回ご紹介した「舞殿(まいどの)」のすぐ裏側にある「大銀杏(おおいちょう)です。

もうご存じの方は多いと思いますが、この右側、大石段(おおいしだん)のそばにはもともと樹齢1000年と言われる大銀杏が植わっておりました。

しかし、平成22年(2010年)3月の強風により倒れてしまいました。

僕はその直後の8月にここを訪れており、その時この話を知ったのですが、とてもショックでした。

子供のころ父に連れられてこの大銀杏のエピソードを聞かされたのを覚えています。

鎌倉2代将軍左金吾源頼家の次男・公暁(こうぎょう)、左金吾の弟で自らの叔父である3代将軍右府源実朝を暗殺しました。

その際、右府が近づくのを待つのに隠れていた場所とされています。

この話、史実としてまことしやかに伝えられているのですが、史料に見られるようになったのは江戸(えど)時代に入ってからだそうです。
同時代史料には存在しないエピソードだということが指摘されています。

そもそもが、樹齢1000年の大銀杏は鎌倉時代当時は幼木だったのでは?という指摘もあります笑
(平成22年に倒れた木が2代目だという説もありますが)

まぁ、実際に公暁が隠れていたかどうかは定かではないのですが、実際にこの辺りを左金吾頼家や右府実朝、前回ご紹介した和田左衛門や右大将頼朝などの『吾妻鏡(あづまかがみ)』の英雄たちが通っていたと考えると、一層感慨深いですね。

太鼓橋と舞殿について知りたい方は下記リンクをタップしてください(関連記事に飛びます):
鶴岡八幡宮を味わう(1)―太鼓橋と舞殿




応神天皇、神功皇后などを祀った本宮



大銀杏の右側にあるのは本宮(ほんぐう)に向かう「大石段」。
この大石段がいつからあるのかは定かではありませんが、この辺りを上記のような『吾妻鏡』の英雄たちが通ったと思うと同様に感慨深いです。


右大将関連の記事:
上杉和彦『源頼朝と鎌倉幕府』

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鶴岡八幡宮を味わう(3)―源平池とゆかりの人物

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大航海時代に日本が侵略されなかった理由(11)―室町時代までの武士の主従関係について

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「士農工商」は身分制ではない―歴史の解釈は変わる



そして肝心の本宮です。

八幡様なので当たりまえなのですが、応神天皇、神功皇后(じんぐうこうごう)、比売神(ひめがみ)を祀っています。

関連記事:
鶴岡八幡宮を味わう(3)―源平池とゆかりの人物

内部には我ら紀(き)一族の祖である武内宿禰の像がありますが、今回は武内宿禰ではなく、主神である応神天皇について説明したいと思います。

応神天皇は諱(いみな)誉田別尊(『日本書紀』より)と言いまして、神話の時代に活躍した天皇です。


関連記事:
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そのため、実在性についての議論があるのですが、現在では、4世紀後半から5世紀初めごろにかけて実在した可能性が高いとされています。

第14代仲哀天皇の第4皇子で、母は神功皇后(応神天皇と同様に八幡宮のご祭神ですね)。
かの有名な日本武尊の孫にあたります。

神功皇后は神託を受け、三韓(さんかん)(朝鮮半島にあった「韓」のつく3つの国)を征伐せよと言われたそうです。

仲哀天皇の生前は彼の反対で実現しなかったそうですが、仲哀天皇の死後に皇后は摂政(せっしょう)となり、三韓征伐を実現しました。

その時すでに子を身ごもっていたと言われ、征伐から帰朝した直後に生まれた子供が誉田別尊、つまり応神天皇だったのです。

事績としては蝦夷(えぞ)や海人(かいじん)(どの方面の人々か不明)を平定し、多くの渡来人(とらいじん)を迎えています。
中でも王仁(わに)によってもたらされた『論語(ろんご)』によって儒教(じゅきょう)が、『千字文(せんじもん)』によって漢字が伝わったとされています。

学問的にも文化的にもターニングポイントとなった出来事のときの天皇です。
(仏教が伝わったのは6世紀でして、実は儒教の方が古くから日本にあるんですよ)

崩御(ほうぎょ)後、皇統(こうとう)〔天皇の血筋〕は仁徳天皇系と継体天皇系に分かれましたが、その二流の共通の祖ということで神格化され「八幡神(はちまんしん、やはたのかみ)」という名前をおくられました。

豊後国(ぶんごのくに)〔大分県(おおいたけん)〕の宇佐(うさ)に祀られたのが始まりです。
(宇佐八幡宮)

その後、京都(きょうと)の男山(おとこやま)に勧請(かんじょう)されて石清水(いわしみず)八幡宮が生まれました。
(筆者のご先祖様が長く社務を務めていたところです!)

それをさらに鎮守府将軍源頼義が相模国由比郷(さがみのくに・ゆいごう)に勧請して、今回の鶴岡八幡宮が誕生しました。

八幡神は武門の神様としてあがめられていますが、応神天皇ご本人は特に武勇を鳴らしたわけではないようです。

母の神功皇后の三韓征伐と、宇佐八幡宮に祀られた後、神の身でありながら自ら隼人(はやと)征討に赴いたというエピソード、そして上記鎮守府将軍頼義をはじめとする源氏(げんじ)の氏神(うじがみ)とされたことから、武門の神様として大切にされるようになったようです。

こんなエピソードを思い浮かべながら八幡様詣でをすると、また感慨が違ってくるかもしれません。

まだまだ説明したいことはたくさんありますが、今回は以上にしておきます!

最後まで読んでいただきありがとうございました!


鎌倉シリーズの次回の記事を読みたい方は、下記リンクをタップしてください:
鶴岡八幡宮を味わう(3)―源平池とゆかりの人物


以下もぜひご覧ください。

○今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・征夷大将軍 左衛門督〔左金吾。通称不明〕 源 朝臣 頼家
せいいたいしょうぐん さえもんのかみ〔さきんご。通称不明〕 みなもと の よりいえ
・(鶴岡八幡宮4代別当) 阿闍梨 源 公暁
(つるがおかはちまんぐう4だいべっとう) あじゃり みなもと の こうぎょう〔くぎょう〕
・征夷大将軍 右大臣〔右府。通称不明〕 源 朝臣 実朝
せいいたいしょうぐん うだいじん〔うふ。通称不明〕 みなもと の あそん さねとも
・和田 左衛門尉〔通称は小太郎〕 平 朝臣 義盛
わだ さえもんのじょう〔通称はこたろう〕 たいら の あそん よしもり
・征夷大将軍 右近衛大将〔右大将。通称は三郎〕 源 朝臣 頼朝
せいいたいしょうぐん うこんえのだいしょう〔うだいしょう。通称はさぶろう〕 みなもと の あそん よりとも
・誉田別尊〔諡号:応神天皇〕
ほむたわけのみこと〔諡号:おうじんてんのう〕
・武内宿禰
たけのうち の すくね
・足仲彦尊〔諡号:仲哀天皇〕
たらしなかつひこのみこと〔諡号:ちゅうあいてんのう〕
・日本武尊
〔やまとたけるのみこと〕
・王仁
わに
・大鷦鷯尊〔諡号:仁徳天皇〕
おほさざきのみこと〔諡号:にんとくてんのう〕
・男大迹王〔諡号:継体天皇〕
おほどのおおきみ〔諡号:けいたいてんのう〕
・鎮守府将軍〔通称不明〕 源 朝臣 頼義
ちんじゅふしょうぐん〔通称不明〕 みなもと の あそん よりよし
☆武家の「通称」の普及を切に願います!

参考
大分生まれ、貧乏育ち
春夏秋冬
ちくブロ


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※The Beatlesの楽曲のカバー。ボーカル・コーラスは筆者の声。楽器隊は打ち込みですが、機材が整い次第自分で演奏する予定です。








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